ダニエル・キイスの番組がNHKでやってて本物のビリー・ミリガンを初めて見た。何か心動かされるものがあった。halがこれとこの前回のものも見たらしくて、『アルジャーノンに花束を』を読んでみようかな、と言ってたので古本屋で買ってきた。正月はこんな感じでゆっくり過ごした。
1999年01月03日
1月3日(日)
ロンドン出発1日前。halは一足先に成田のホテルに泊まってる。午後にheedsが来てローミングをヘルプしてくれた。夕方に白金のソニーに行って、スーツケースを機材車に積み込む。忙しくて、長いような短いような妙な1週間だった。帰りにCDを買う。しかし日本から僕は個人的に1枚もCD は持って行かないのでこれらを聴くのは2ヶ月後だ。先月からメールを始めて色々新鮮だった。こういうコミュニケーションもあるのか、と驚いた。メールを交わしたことしかないネット上の知り合いが何人か出来た。何人かはHALのファンで彼等は個人的にHALのホームページを立ち上げてくれた。また外国人とのコミュニケーションの手段としてかなり有効だとも思った。
1999年01月04日
1月4日(月)
寝ないで、朝五時半にタクシーで近くの駅に向かった。引っ越して始めて電車を使った。久し振りに電車に乗ったら、大変だった。渋谷で待ち合わせ。eoeと僕を乗せて車は成田へ向かう。途中成田のホテルでhalをピックして空港へ。物凄い混雑。みんな新年早々何しに国外行くんだろう。とにかくチェックインして両替えしてばたばたと飛行機に乗り込んだ。スタッフは別便で既に出ていた。hal、eoe、zoeの3人はパリでトランジットしてロンドンに入る。航空会社によっては長期滞在出来ないらしく、僕達は今回約2ヶ月なのでエア・フランスで入ることになった。12時間以上乗ってパリに。バスに乗ってターミナルを移動して待ち時間の間にコーヒーを飲んだ。ゲートに向かおうとしたら旅行者がある線よりこっち側になにやら並んで固まってて、そこを越えて行こうとしたら他の旅行客に止められた。なんかテロの恐れがあって事態が落ち着くまでこのラインから出てはいけないと言う。驚いてラインの向こうを見てみるとそのラインから向こう側にはいつのまにか人払いがされて誰もいなくなっていた。暫くして特殊物処理班みたいな感じの制服を着た人が何人か来てなんかメジャーで何かを計るようなことをやってる。ぼーっとみてたらピーッと笛が鳴ってバン!と爆発音がした。思わずhalとeoeと顔を見合わせてしまった。一体あれはなんだったんだろう。この後何ごともなかったかのようにみんなゾロゾロ動き出して、僕達も機上の人となった。しかしヒースローででかい困難が僕とhalを待っていた。今回ビザを取ってなかったため、僕達はミュージシャンであることを隠すように指示されていた。しかしこれは完全にスタッフ側の落ち度で、僕は何となく経験からビザなしでスムーズに行くとは思えなかった。というのも、僕達はもう無意識のところでどうしても非日常的な雰囲気がでてしまっているから目をつけられやすいし、7週間も8週間も観光しに来るなんて不自然だからだ。eoeは問題なくスルーした。思い出すのも腹立たしくて嫌なんだけど、結局僕とhalは3時間近く税関で止められて、なんの情報も無く何度か別々に尋問されて、宙づりになっていた。いい加減うんざりしてきて、もうNGだったらそれでいいからさっさと結論出せよ、と言おうと思ったら、結局入国の運びとなった。この3時間はもっといろいろあったんだけど面倒なので詳しくは省略。とにかく最悪の気分で入国し、スタッフとeoeと合流した。今回セッションではラリーと言う人もスタッフとして加わっているんだけど、彼はかつてオジーのマネージャーをやってた人でクラプトンと知り合いだったり、この世界に詳しい。最も長くオジーのマネージャーをやってた人で、彼から聞くオジーの話はなかなか聞けない話が多くて面白い。またZZ TOPのメンバーとも仲良しで、とにかく今まで僕が出会ったなかで最も欧米の音楽シーンに深く入っている人。とにかく15時間の飛行機と3時間の税関で完璧に疲れきっていたのでその日はフラットに直行。hal,eoe,zoeが同じフラットをシェアする。近くの店で食べ物を買って食べて寝た。
1999年01月05日
1月5日(火)
午後1時にスタッフと待ち合わせて、アンディのスタジオに向かう。彼が所有するスタジオでここを使うのは僕達が初めて。初顔合わせ。彼はなかなかこじゃれていた。スタジオを案内してもらう。彼の住居も兼ねていて良い感じのスタジオだった。僕もこんなスタジオ欲しいぜっていうのが率直な感想。彼のリヴィング・ルームでみんなでお茶を飲んで話をしてスタジオを出た。今日の夜に夕食をみんなでとることになった。戻って荷物を置き、ちょっとした買い出しに出た。帰りにhal,eoe,zoe でコーヒーを飲んでフラットに戻る。halが頭痛がするということで、ディナーは欠席。zoe,eoe,Andy Gill, 彼のガールフレンドのCatherine,エンジニアのCalum,Sonyの T氏、コーディネーターのKさん、Larryというメンバーだった。イタリアンの店。人気のある店みたいで混んでた。明日からプリプロが始まる。
1999年01月06日
1999年01月07日
1月7日(木)
プリプロ2日目。今日も必要な素材をそろえるため、どんどんギターや歌を録った。しかしアンプの音が良くてびっくりした。日本のマーシャルは偽物なんじゃないかと思うくらい全然違う音。ソリッドで奥が深い。そこらへんに転がってる普通のマイクで録ってるのに日本では考えられないくらい良い音。僕はギターの音に関してはもうほとんど迷信めいているんだけど、日本で良い音で録ることは出来ないと思ってる。僕が個人的に海外でレコーディングすることにこだわる理由の一つはギター・サウンド。ハイワットもヴォックスも全然違う。日本で使ったアンプで心の底から良いと思ったものは一つもない。ガイド・ギターの割には強力なサウンドが録れた。
1999年01月08日
1月8日(金)
プリプロに必要な素材を録ったので今日はAndyの提案でパブに行った。400年以上(!)続いているというところで、通りから隠れたところにあって、地元の人間じゃないととてもわからない場所だった。Bishopのマークがあって、由来を聴いてみると当時の司祭がそのへんの地域を統治していて彼等が酒を振る舞ってたらしい。実際彼等もバンバン飲んでたらしい。Calumにスコティッシュ(スコットランド語)をいろいろ教えてもらう。イングリッシュと撥音とかが驚く程違うので面白い。まあ一種の方言なんだろうけどね。彼はグラスゴーの人でアンディーがBISをプロデュースした時に知り合ったらしい。見た目はスコットランドの田舎者と言う感じなんだけど、耳が物凄く良くて、ハードディスクのオペレーションから機材の扱いから熟知してて今回のプリプロでは欠くべからざる人。陽気で気の良い人物。
1999年01月09日
1月9日(土)
4日目。スティーヴンとソーホーにプレイステーションを買いに行った。CDも買った。今日はラリーとソニーのT氏と佳代子さんが帰国するのでお別れ会をした。アンディーとキャサリンとギャング・オブ・フォーの初代のマネージャーだったロブと一緒にソーホー・ハウスと言うところに晩御飯を食べに行った。良い店だった。ここもロンドンをよく知ってる人じゃないと決してたどり着けない店だと思う。外からだと店かどうか一見わからない。ミュージシャンやTV関係の人が多い、いわゆる業界の人がよく来る店らしかった。ラリーはテキサスのダラスに住んでて、その関係か、『悪魔のいけにえ』の話になった。これは原題が“TEXAS CHAINSAW MASACARE”と言って、舞台もテキサス(多分)。僕はあの映画が大好きなので盛り上がった。帰りeoeが気分が悪くなったのでhal,Andy,Chatharineに先にタクシーで帰ってもらって、一旦レストランに戻る。店を出たすぐの通りで喧嘩。白人対黒人という人種が違うものどうしの対戦。しかしこの黒人はマイク・タイソンみたいなのとは程遠くて、白人に思いっきり顔を蹴られてひっくり返ってた。「金返せ!」とか白人が怒鳴ってて、どうやら黒人がなんかちょろまかしたらしかった。面白かったのは、蹴られた黒人が思いっきりeの方に倒れかかってきて、今しがたまで吐きそうになってたeが唖然としてたこと。eにしてみれば「こっちは気持ち悪いんじゃい、ボケ!」という感じだっただろう。かなりうんざりした顔をしていて何かeには悪いんだけど面白かった。とにかく典型的なロンドンのソーホーのサタデー・ナイトだった。
1999年01月10日
1999年01月11日
1月11日(月)
僕とeoe引っ越し。カギを別のホテルに取りに行ってそのままヒースロー空港に向かう。今日はアニキとシゲソニック到着の日。アンディーに紹介して、メンバーで飯を食って宿に戻る。今日の夜、ジェイムズ・エルロイの『ホプキンスの夜』読了。『自殺の丘』を読みはじめる。今回ロンドンに行くに際してCDは1枚も持って来なかった。本は何冊かもってきた。リスト・アップしてみると、ジェイムズ・エルロイ『ホプキンスの夜』『自殺の丘』『キラー・オン・ザ・ロード』『秘密捜査』『レクイエム』『ハリウッド・ノクターン』フリードリッヒ・ニーチェ 『善悪の彼岸/道徳の系譜』アーネスト・ヘミングウェイ『蝶々と戦車・何を見ても何かを思い出す』前田耕作『宗祖ゾロアスター』竹内信夫 『空海入門ー弘仁のモダニスト』以上。
1999年01月12日
1月12日(火)
ドラムとベース・アンプを選びに行く。アンディーの車に乗ってシゲソニックとアニキを連れて向かう。テムズ川を渡ったところに目的地があった。巨大な倉庫に大量の楽器と機材がストックしてあった。2人は非常に感銘を受けていた。実際これだけの量をストックしてあって、しかもこれだけのクオリティーを保っている機材屋は日本にない。レベルの違いに驚く。これは日本と欧米の音楽に対する認識の違いを象徴してたと思う。やっぱり日本の音楽のクオリティーは低い。音楽に別に多くを求めていないんだと思う。この機材倉庫でニール・マーレイを見た。僕はわからなかったんだけどアニキが気付いて、「サインもらおうかな」とか言ってるので「ファンなんすか?」と聞くと「別に」とか言ってるのでひっくり返った。「アニキの方こそサインねだられるくらいにならなくちゃ」と言うと「じゃ、サインやるって言ってこようかな」とか言い出したので、「いらないんじゃないすか」と言った。シゲソニックが放っておくとあと1週間ぐらい時間をかけそうな雰囲気だったのでせかした。
1999年01月13日
1999年01月14日
1999年01月15日
1999年01月16日
1999年01月17日
1999年01月19日
1月19日(火)
“BTBN slow”ドラム録音。“CYCLOTRONE”“SLINKEE”ドラム録り直し。 CD買う。ロンドンに来てからずっとJAZZ FMという局を聞いてる。ずっとラジオはつけっぱなし。この局は最高。時間帯に合わせてコンセプトをはっきり設けていて、例えば、夕食時はディナー・ジャズというタイトルで比較的ラウンジ・テイストのジャズをかける。日曜の昼時にはボサノヴァ・テイストのもの、ブラジリアン・ミュージック、というふうに趣向がこらしてあって面白い。僕が最近特に気に入ってるのが、夜の12時からやってるブルースのプログラム。渋くてクールな曲が1時間かかりまくる。ジョン・リー・フッカー、タジー・マハール、チャーリー・ヘヴンズ、モーズ・アリソン、エリック・コーバスン、ジョニー・ラング、僕が聞き取れたアーティストはこのくらいで、実際聞いたことがないカッコイイ曲がめじろ押しで、この選曲をしてるやつは凄いよ。Pete JohnsonというヤツがDJだった。選曲リスト欲しい。テープに録音しようかなーなんて思いはじめた。
1999年01月20日
1999年01月21日
1月21日(木)
ホテルのチェックアウトの時にちょっとトラブる。運の悪いことにたまたまフロントにオーナーがいて、そいつがまたインド系のアクセントの英語を喋るので大変だった。とにかくなんとかなった。シゲソニック帰国。なんだかんだ言ってもシゲソニックが帰国して寂しい。ヤツは面白くて、英語で何か話し掛けられると、相手に関わらず「何言ってるかさっぱりわかんねー。」と言う。それが毎回なので面白かった。ヤツのプレイにはUKチームも舌を巻いてた。アニキ一気に残りの曲録音。根性を見せる。日本人の凄さを感じたはずだ。アニキの力の入ったベースを聴いて感銘を受けたに違いない。セッションが終わってアニキは滅茶苦茶脱力していた。 Calumが土曜日にエジンバラに戻るので来週から違うエンジニアが来ることになってて、今日ヤツが顔を見せに来た。ジェイムスというヤツだった。


